32回目の正木先生主催「誰も知らなかった古代史」。

 今回は鎌倉時代に「掌中歴」と「懐中歴」を欠損部分なども含めて再編纂された百科事典とも言える「二中歴」に記載された古田史学では九州年号とされる「大化」以前の年号を基に、九州年号と大和年号との整合性や矛盾点を根拠に基づきその資料を上げ検討解説されます。

 処でそもそも「年号」及び「元号」とは何なのか、現在では1872年一世一元の詔が発せられ、それを継承する形で現憲法下1972年に元号法が制定「一世一元の制」が定められ天皇退位により改元される様に法的根拠が与えられてます。

 では、江戸時代以前古代でどんな動機で年号が制定改元されていたのか、古代では発掘された木簡などから年代の記録には干支が多用されてた様で、それでは出来事の前後関係が分かり辛くインデックス的に年号が使用され出したのかなというのは私の推測ですが、「大化」から記録が残り故に「大化」が最初の年号とされる所以で、以後国の大きな政策変更時に改元された事に成りますが、時の権力者が恣意的に改元してる例も多々有り、武家では室町時代に足利将軍が朝廷の定めた年号を「吉書始」と称して改元を宣して以降で、一般庶民が年号を認識し出したのは高札や出版物に記載されてる江戸時代以降、識字率が上がるのと比例して認識されるように成ったのかなと考えてます。

 今回の正木先生の論調は、古田史学の九州年号と大和年号の並立を補足するものだと思いますが、では九州年号以外に他の年号は存在しなかったのかと云えば良く知られてる北朝年号と南朝年号の並立期が有り、それ以外にも古代から明治期初期まで地方王権や思想信条に基づき唱えられた「私年号」も記録に残ってて、年号と云うのはある出来事から何年と云う様にアーカイブ的な側面も持っているので、来年は改元も有る事なのでいっその事「一世一元の制」は止めて、公文書は西暦に統一し年号は「出来事改元制」に移行して、毎年年末ごと改元検討審議会なんかで改元の必要性を検討、改元が必要とされれば改元し皇室から発してもらう様にすれば良いな~、と思ってます。

 2025年の2025年の大阪万博なんかで「万博」と改元し、万博10年ならば思い出の万博から10年経ったんだなんて思い出に耽るのも良いと思うんですが、如何でしょうか。


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正木先生のお話は資料根拠を上げ解説されるので説得力が有りますね。
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